或るニートのブログ ~映画と絵画の日々~

或るニートの一生~絵画と映画の寸評と鑑賞~

或るニートの一生~映画・絵画~

映画「子宮に沈める」ネグレクトなんかじゃない。

朝、目を覚ますと病室のベッドの上にいた。4歳くらいのころのことだ。また、幼稚園に行く間際にいきなり母親に本気で首を絞められた。全部事実である。筆者の幼年時代は普通の人の青春時代ほど重かった。白痴というか、首を絞めているときの母親がすこぶる美人に見えた覚えがある。筆者と妹は養護施設を通して里子に出された。母親は松沢病院
措置入院させられた。
子宮に沈める」。この作品は関西で実際にあった二児遺棄事件を礎にしている。オープニングはどこにでもいそうな二児の母。いや。過剰なまでに家事を演出するパワフルなお母さんだった。ただ、経験はないが育児とは大変な模様を各所に抽出し、見るものをうんざりされられた。キャラクターの絵の入ったお弁当など、どこまでが演出で、どこからが事実の引用かは不明なまま日常は進行する。
三歳児の幸は弟想いの優して女の子。保育園には通っていないようだ。そして弟のそら君一才。夫は仕事漬けの毎日で家事に見向きもしない。たまに帰ってきても、書類の忘れ物を取りに来るくらい。夫婦は離婚して、シングルマザーとなった母親はアパートに引っ越しする。高校時代の友人のキャバ嬢が夜中やってくる。大声を上げて子供の睡眠を阻害するかのよう。私も子供ほしいな、とかてめーには無理的な発言を連発。さらにはキャバ嬢にならないみたいな勧誘までしてくる。一方母親は医療事務の仕事で手に職をつけようと勉強していた。この対照的なふたりの友人関係もこの作品の好き嫌いをハッキリ二分する場面である。
母親は次第に夜な夜な男を家に連れて帰ってくる。かなめはイチゴが好きな幸のためにショートケーキをお土産に持ってくる。そして夜、男と女の関係を見た幸は翌朝、弟そら君相手に母親たちの営んでいた体技を再現する。母親は如実に派手になっていく。
「今日は何食べたい?」と聞く母。「オムレツ」と答える幸。「チャーハンでもいい?」と手順で楽な料理を数日分提供して、部屋の隅々に目貼りをして外へ出かけてしまう母。
姉弟の二人だけの生活ははじまる。幸はお腹のすいた弟のために母がそうしていたのと同じ要領で粉ミルクを提供する。しかし次第に少なくなっていくチャーハン。しまいに幸は色粘土を頬張り餓えをしのぐありさま。母親を呼ぶ健気な叫び。弟そら君は誕生日の夜に餓死し、固くなってしまう。テレビのブラウン管では砂塵が流れる。砂塵は胎内にいる赤子が聞く音としてのメタファーか。
ハエの飛び交う一室に母親が帰ってきたころにはそら君の周りにはうじまで沸いていた。母はそんなそら君の顔面と頭部をガムテープで覆い、果ては洗濯機の脱水にかける。幸は母の帰りを喜びながら裸にされ湯張りした風呂の中で溺死させられる。さらには、この母親はまたある生命を胎内に宿していた。が、編み物用の鍵針を膣内に挿入し堕胎させる。ここまでくると人間の威厳などどこへやら。昆虫の生態より尚ひどい。およそ生き物のする所業ではなくなってきていた。
ネグレクトなんて言うとかっこが良いかと思うが児童虐待は人殺しの次に非人道的行為だ。筆者も似たような案件の中で育ってきたが、ことが事だけに成長するにつれ親への猜疑心はかなり持ち合わせた。こんな映画が世に出回らないような法整備、国家対策が急務である。

 

映画「出張」或るサラリーマンの悲哀。

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熊井功(石橋連司)は中小企業の営業マンだ。会社から出張を命じられ東京から東北の地方都市へと電車に揺られていた。と。落石事故に遭い足止めを食らう。仕方がないのでいったん出張は取りやめて近場の温泉宿に一泊する運びとなる。温泉宿の近所のバーに夜な夜な足を向け、そこで深夜までカラオケに興じる。女の子が二人で接待したが、この二人共と深夜セックスに興じる。一人だけなら現実的だが、二人ともなるとイルージョンだ、と沖島勲監督はそんなことを語っていた。

翌日、いったん宿に戻り背広姿で駅に向かう。激しい轟音が聴こえたので何かと耳を傾けていたら、武装した若い二人の男に拉致されてしまう。そして二人に付き添われ丘を登ってみると、そこはゲリラ隊のベースになっていた。機動隊員たちと実弾発砲を続け、疲れたら今日この辺にしとくか、と結構いい加減なゲリラの隊長を原田芳雄が演じていた。

その晩、熊井は自分が人質になった旨を聞かされる。寒い晩だ。焚火の炎にあたりながら、こんな緊張したシーンで痔についてのトークがあったりと、ストックホルム現象的な要素がふんだんに持ち込まれている。あくる日、隊長たち幹部は熊井の実家、会社に向けて身代金を要求する電話を掛けるが、一向に芳しくなく、身代金の根切合戦にと及ぶ。妻も会社の部長も熊井に冷たく、命の重みなどという言葉は一切皆無で交渉は落ち着く。部隊には運び屋がたまにきて定価よりも少し高い値段でタバコなどの嗜好品を売りに来ていた。

ようやく解放された熊井だが、家に帰ってみると妻はヒステリー一歩手前で、娘は大学のテニスサークルの合宿に行っていた。台所の灰皿にはタバコが何本ももみ消された痕跡がある。部長と妻の関係を気にする熊井だが、追及もできず夜を迎える。

翌日彼は会社に戻り各課に巡ってお詫び行脚にいそしむ。そしてまた出張。東北に向かう電車の窓から例のゲリラ部隊が相変わらず機動隊と戦っていた。熊井は車窓から身を乗り出し部隊に向かってこう叫ぶ。「がんばれよーーーっ」。

記号化された哀切を帯びたサラリーマンの悲哀をコミカルに、そしてシニカルに描いた沖島勲の代表作だ。

 

映画「望郷」パリの匂いのする女

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舞台はフランス植民地下のアルジェリア。カスバという迷宮・ラビリンスと化した他民族地帯。訪れるものはこの迷路のごとき街並みにただ茫然と佇んでしまうだろう。パリで銀行強盗等を犯したギャング、ペペ・ル・モコがこの地に隠れうごめい潜んでいた。フランスの警視庁も逮捕に向けて躍起になるが、いかんせんこのハチの巣のような街並みに翻弄されてアジトが良くつかめない。ペペは地元の女・イネスに囲われていたが、そんなヒモ状態にも、そしてこのカスバの街にうんざりしていた。

ペペにはかわいい弟分ピエロがいた。その他ペペを畏怖し尊敬するあまたの地元民の庇護をかれは受けていた。密告に次ぐ密告。こんな言葉が狭い町で日常的に起こっていた。ある日、ペペはパリから来たギャビーにひとめ惚れしてしまう。イネスの泥臭さとは打って変わってギャビーはパリのムードを全身で体現していた。そんなギャビーは人妻だったが、二人が恋に落ちるにはたいして時間は必要としなかった。

母親想いののピエロが騙されて死んだ。ペペをおびき寄せる警察の計略にはまったのだった。ピエロは満身創痍でペペの前にたどり着き、最後の呼吸を密告者にピストルの銃口とともに傾けた。が、寸でで息絶える。ペペはピエロの手を取り発砲、この町で裏切り者は死を背負い込むことになる。

ギャビーがパリへ帰ることになった。ペペは一緒に行きたかったがカスバを出ることは自死に近い暴挙。一方で、ギャビーに一途になってしまったペペへのイネスの嫉妬。これらが互いに交錯しながらラストに差し掛かってくる。

カスバを立ち客船に乗るギャビー。後ろ髪惹かれる思いだ。そしてペペはそんなギャビーに逢うためにカスバの丘陵を走りながら下っていく。迫力あるシーンだ。そしで港にたどり着く。警察網を交わすことなどできない。蒸気船はボーっと爆音を奏でる。ちらりと後ろを向くギャビー。それを目で追うペペ。手錠をかけられただひたすらに望郷を思い「ギャビーっ」と叫ぶペペ。だが汽笛にその声もかき消されてしまう。ペペは内ポケットからナイフを取り出し、みずからの腹をそれでえぐる。

白壁づくりのカスバの街並み。そして青々とした空。太陽が燦々と降りそそ。白黒もいいがカラーで全身で鑑賞したくなる映画だ。

 

 

映画「それから」或るニートの苦悩。

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「歩きたいから歩く」すると歩くことが目的になる。自ら目的をもって何かをすることに疑念を呈する資産家のせがれにして高等遊民の長井代助。明治後期の日本でこういう考え方・思考を歴然として生きる男を描いた苦悩的作品。

代助は同窓生の妹・三千代に心底惚れていた。が、世俗的な恋愛観を捨て、また別の同窓生・平岡に三千代を譲った。そしう相思相愛の体は崩れ、女は時代の隅で蟄居せざるを得なかった。三年ぶりに東京に戻ってきた平岡夫妻は資本主義の社会構造に疲弊していた。会社を辞め、代助に無心に訪れたのだ。久しぶりに見た三千代は代助の目にもいささかやつれていた。三千代を心配する代助は、父親にカネの工面をしてもらいに行くが、それもかなわない。働いてもおらず、ただ毎日読書をしたり考え事に噴ける代助には当然手の施しようがなかった。それても三千代の力になってやりたいという思いばかりが空回りしてしまう。

パンのために働くことを良しとしない、現代版ニートの代助は、それこそ働いたら負けなのである。ニルアドミラリなる怜悧な感覚。終始淡々とした代助の語り口調。これらが美しい音楽に漂いながら、時として幻想的な回顧シーンとまみえつつフィルムは回っていく。代助の苦悩は自らに正直になり、三千代を妻として迎い入れようという一点に帰結する。が、大人の建前的世界ではそんなわがままは通らず、結局孤独となった代助は三千代を動揺させるばかりだった。そしてついには父親から感動され、友人平岡から絶交される。己の都合を優先させ、日常の思考方向は現実に代助を助けてくれるものは明治期にはまだ見つからなかった。

夏目漱石の原作を忠実に再現させた本作品は、現代的考察の対象として幾多の例に紐づけされた。働かず、ただ自分のできる範囲のことを親から受ける援助に任せて遂行するニート。当時の三十代なら現代の四十代くらいの思慮があったと推測する。筆者は何べんも原作をむさぼり読み、自分に都合よく代助の生き方を処理してきたが、今のところ彼の生き方は是として捉えている。一般社会のルール・暗黙の了解、こういう物差しだけで代助を排除することは危険千万である。働け、とはいったいどういうことなのだろうか? 金のある家に生まれた子女が働いてさらに富が生じれば、不要の富が蓄積され世の中が形成されてしまう。富の分配という観点からしても、働かないことは消極的には善であると考える。

 

 

映画「昼顔」

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セブリーヌ(カトリーヌ・ドヌーブ)は貞淑な妻。医師である夫と平穏に暮らしていた。オープニング、馬車に乗った夫婦をカメラは捉える。上流階級を絵に描いたような一コマだ。が、セブリーヌの妄想の中では馬車引きと夫に鞭でにいたぶられる妄想を抱いてしまう。「シェルブールの雨傘」から二年、ドヌープの演技開闢の灯がこのシーンで赤裸々になる。筆者には緊縛を嗜みたいといリビドーが横溢している。実際モデルを雇ったり制作監督をしていたビデオなどでも女性を何人も縛った。縛られる女性は美しい。昭和初期の責め絵の大家・伊藤晴雨に憧憬の念を持っている。

セブリーヌはそんな妄想と上流階級の二面の感情に日々苦心していた。ある日友人から高級娼婦にならないかと紹介され、セブリーヌは夫に内緒でとある娼館を訪れた。そこでマダムに「昼顔」なる源氏名を与えられ午後二時から五時までを娼婦として生きることなした。

仕事はセブリーヌの心を満たした。男のおもちゃになることの快感。しかししつこいマルセルという金歯の男に平穏だった昼の顔を台無しにされる。マルセルはセブリーヌにぞっこんになり自分の妻になれと強要、挙句の果てに彼女の住所を調べピストルを帰ってきた夫に向け重傷を負わせる。夫は下半身不随になり車いす生活となる。

夫に妻の真実を密告した友人の話を夫は聞き流す。セブリーヌはこれから献身的に夫のために生きようと決意する。

或る種作業療法的に夫婦生活を円満にしていくストーリーだが、夫以外の男に抱かれる破廉恥な素行を与しなければ精神の安定を見いだせない、ブニュエルのちょっと暗い目の名作だ。

映画「悪名無敵」八千草薫さん追悼

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競輪で一発儲けた清次(田宮二郎)が朝吉(勝新太郎)を連れて夜のジャンジャン横丁へ。と、そこへ昼間であったポン引き常公と出会う。「昼間口説いてた女・お君を働かせていないか?」と詰め寄る朝吉と清二。ふたりはポン引きに連れられあるバーへ。と、そこにいたのが朱実(八千草薫)だった。お君と朱実を近所の連れ込みに誘い出し、ひと波乱ののち二人と常公を北陸に逃亡させる。もちろん朝吉も一緒だ。だが、清次は売春組織・新湊組につかまってしまう。

お君は国元へ。常公は按摩屋の離れを借り朱実と所帯を持つと口約束。一方、朝吉はひとり片山津温泉へ、ここのホテルのラウンジで鉄火肌の女性・百合子(藤村志保)と出会う。一夜の情を交わした朝吉と百合子だったが、実は彼女こそ常公の所属する組の親分だった。一方的に朝吉に惚れた百合子だったが、組織の威信をかけてその情を断ち切ろうと尽力する。また、常公は朱実の機嫌を損ねてた挙句に彼女の在処を地元の親分を通じて密告する。

大阪に戻った百合子は何食わぬ顔をして事務所に戻る。清次は清次で組のポン引き成りすまして朝吉の帰りを待つ。朱実も常公も殴られ放題の体だった。百合子は清次と二人っきりになり、朝吉が大阪に戻らぬよう説諭する。それでも戻るようだったら、とピストルを清次に託し、片山津の女がそう言っていたと伝えてくれと言葉をかける。

大阪に戻ってきた朝吉は組の寄り合いに押し入り清次から預かったピストルを手に組織に、そして百合子に挑む。男と女の仲はここで亀裂が生じ、朱実と常公ふたりを助けるべく奮起する悪名コンビ。毎度の大ゲンカ。やがて軟禁されていた常公も改心し、消火器を抱いて喧嘩の間に割って入る。朝吉は組織から札束をもらい、それで百合子を買うと言って朱実のいる部屋へ。そこで夜の女の不幸を嫌というほど体現し、「堅気の女になれ」という朝吉の言葉に涙を流す。

薄幸な汚れ役に挑んだ八千草薫。役柄的には藤村志保に看板の座を奪われたが健気な演技でキャリアを積んだ。

映画「ロンググッドバイ」おれの猫を返してくれ

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1970年代初頭ハリウッド。私立探偵フィリップ・マーローはアパルトマンのペントハウスで愛猫と二人暮らしを優雅に送っていた。深夜に猫がおなかを空かせばクルマに乗り近所のスーパーにキャットフードを買いに行ってあげるほどの博愛主義者。ところがカレーブランドのキャットフードしか食べない猫はほかのブランド品の餌を食べることなく部屋の外へ飛び出してしまった。そこへ友人のテリーがやってきた。

「女房と喧嘩をして家を出た。メキシコのティアパスまで送ってくれ」とテリー。
深い事情も呑み込まずこの逃亡に与したマーローは、テリーを送り終えて部屋に帰ると警察に迎えられた。「テリーが妻を殺した。お前は事後共犯だ」と。

署に連行されたマーローは厳しい取り調べを受けていた。が、テリーが死んだという情報の入ったのち釈放される。そんなある日、作家ロジャー・ウェイドの妻アイリーンから夫を探してほしいとの依頼が入った。

ロジャーはアル中で作家業も半ば挫折し精神病棟に暮らしていた。マーローはそこでロジャーを確保。しかしロジャーとテリーの妻が不倫していたということを耳にする。やがてロジャーは入水自殺。マーローはマフィア連中からテリーの持ち逃げした35万ドルを返せと詰め寄られる。

再三マフィアに脅されてたいマーローだったが、テリーの35万ドルが彼らのもとに届いた。そして時を置いてマーローのもとにもテリーから5000ドル紙幣が送られてきた。事の真相に機転を働かせたマーローは、たまたま町を車で運転するアイリーンに事情を尋ねるべく追いかけたが、あと僅かというところで自動車にはねられ病院行きとなる。

退院後、マーローはメキシコに向かい、警察の上層部からテリーが生きていることを聞き出す。テリーとアイリーンはデキていたのだ。自殺したロジャーの遺産を手にし。探すマーロー。そんな彼を満面の笑みで迎えたハンモックに横たわるテリー。「酒でも飲まないか?」と勧めるテリーにマーローは銃で応える。弾丸が火を噴くと同時にテリーの体躯は池に沈んだ。