或るニートのブログ ~映画と絵画の日々~

或るニートの一生~絵画と映画の寸評と鑑賞~

或るニートの一生~映画・絵画~

映画「パルプフィクション」饒舌なアクション映画。

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オープニングからハラショーな展開。これがラストシーンでもある。

バニーとパンプキンが強盗計画を企てていた。最近の強盗事情に通暁したパンプキン。これから二人が銃を取り客席を席巻するのだが、シーンはヴィンセントとジュールスの会話に転ずる。闇組織のアタッシュケースを略奪されて多少イラついていたアムステルダム帰りのヴィンセント。略奪した若い連中のアパートに入り、ハンバーガーについての見解を長々と講釈したのち、次々とあんちゃんたちを狙撃。と、便所にはひとり残されていた。こいつが至近距離からピストルを数発発砲する。が、二人はかすり傷ひとてつ負わなかった。黒人・ジュールスはこれは神の思し召しだとしてギャング稼業から足を洗うことを決意。してはみたものの厄介なことに帰りの車の中で、ヴィンセントがマービンという男に銃をチラつかせているうちに暴発し、車内は血まみれになる。

死体を積載した車はヴィンセントの友人宅に停まる。そしてウィンストンという掃除屋を呼び出す。彼は紳士的に洗車の段取りを二人に話す。上目目線のウィンストンに腹を立てるヴィンセントだったが、ここはウィンストンに任せておけとジュールスに諫められ、指示に従い、車はキレイになって廃車工場へ送られる。Tシャツと短パン姿を笑われたが二人はファミレスに行く。ここで冒頭のシーンにつながっている。

一方で、組織の大黒柱・マーセルとプッチがナイトクラブで談義している。ボクサーのプッチに八百長試合をするよう要求するマーセル。カネを渡して話は成立する。ところが、プッチは試合にいとも簡単に勝ってしまう。ボクシング会場から逃げ出すプッチ。転がり込んだタクシーの中で女性運転手から試合の相手が死んだことを告げられる。さらには人殺しってどいう感じ? と問われる。運転代金を大目に払って口止めをするプッチは翌日、ファビアンがプッチの父の形見の時計をアパートに忘れたことをなじる。しかたなく、プッチは時計を探しにアパートに向かい、誰もいないことを確認して部屋に入る。時計はすぐに見つかった。が、トイレでクゾを垂れていたヴィンセントに気づき、かれの置いておいた銃で一発発砲するやヴィンセントはあの世へ。

マーセルはひとりでハンバーガーショップからの帰り道、プッチにクルマに轢かれる。気づいた時にはプッチが質屋へ逃げていたことを知り、二人が質屋に入る。ところがこの質屋のおやじがゲイでSMマニアだった。監禁されたマーセルとプッチは身体を拘束されるもさすがはボクサー。相乗りしてきた警官と質屋の二人を叩きのめしてしまう。マーセルは八百長試合の件は水に流すが、二度とこの地には戻るなと約束させる。ファビアンとバイクでブッチはどこ行く当てもなく逃げていく。

死んだキャストが蘇生したように映画に再登場する構成。

ミアはマーセルの妻だが一晩だけヴィンセントに預けられ警護をする。行きつけのバーに出かけその帰り、ミアはコカインとヘロインを間違って嗜んでしまい心臓が停止してしまう。見つけたヴィンセントが顔を青くして知人のところへ急いで、アドレナリンかなんかの注射を施しミアは生き返る。

なんともクレージーな出来事の短編映画の集積だが、理屈なく面白いというしか言葉はない。ジュールスが人を殺める際に必ず聖書のエゼキエル書をそらんじるシーンなんかもぶっ壊れていてこそばゆい。タランティーノの最高傑作。

 

 

映画「異人たちとの夏」愛情に飢えた都会人。

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昔懐かしい浅草。前座修行中からぶらぶら歩いた日参道。仲見世にはない静かなムードに包まれていた。現在では都会の一隅と化してしまった浅草を、この映画で回顧してみた。喫茶店サニーの禿マスター。不愛想なかみさん。その奥には朝鮮横丁のような小さな居酒屋が軒を連ねていた。

四十になる英雄は妻と別れ、子と別れ、ただ一人都会のマンションの一室に閉じこもりシナリオライターの職をこなしていた。両親は十二歳の時に不慮の事故で亡くし、祖父や親せきに預けられて育ってきた。そんなある日、浅草演芸ホールで落語を観た。客席からヤジを飛ばす三十代と思しき男性。ちゃきちゃきの江戸っ子らしい活舌の良さ。父だ、と英雄は思った。この父・英吉に連れられ、日参道の奥まった懐かしい我が家へ帰る。父親とは十歳ほど年齢が離れていた。が、ビールを飲もうと缶ビールを買うと、冷たいからハンケチを出せと気を遣う英吉。やがてアパートに着き、異人たちとの夏がはじまった。

英雄は事あるごとにこのアパートを訪れ、母親・房子が手ずから作ってくれたアイスクリームを食べては喜んでたり英吉とキャッチボールをして遊んでいた。しかし一方で日に日に英雄はやせ衰えていた。マンションの別室に住む桂と良い中になり、「両親とは別れなさい。二度と会わないように」と告げられた。プッチーニを口ずさむ桂。

盛夏をすぎ秋色の景色が垣間見られようとするある日、英雄は桂の言った通り、両親と決別かすることにした。顔がやつれていくのは両親のせいだと、桂の言うことを愚直に受け止めたからだ。そして浅草ひさご通りにある今半にすき焼きを食べに行く。英雄からの別れのプレゼントだった。そこで三人は卓を囲むが両親は何も食べない。自分たちが幽霊だということも自覚している。食べなさい、と言ってすき焼きを小皿に盛って差し出す母親。

たとへ幽霊でも両親に会えて嬉しかった。自分は出来損ないだけど生んでくれてありがとう的な謝意を尽くし泣き出す英雄。やがて、英吉・房子ふたりがスクリーンの中からうっすらと消えていく。

また桂もやはり幽霊で、一年も前に自殺したことを知った英雄。異人たちとの夏が終わりを告げる。そうして英雄は両親の墓前に訪れ花を手向ける。

寿司職人だった父親役の片岡鶴太郎が、大林宣彦監督の演出で見事な役者になった、思い出深い作品である。両親の愛を十二歳で断ち切られた英雄の涙が見る者の涙を誘う。

 

 

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オーダーメイドした真っ白な特攻服を身にまとった三人組。山口、小菅、市川らはネオ・トージョーを名乗る右翼活動家だ。といっても、街中では半グレ程度にしか認識されていない。三人は渋谷の街を自警団のように毎日パトロールしていた。そして喧嘩に明け暮れる。

筆者も以前一水会の当時書記長だった横山氏、野村秋介の秘書だった古澤氏と三人で、たまたま三人がショートホープを吸っていた因縁でホープの会と謳い勉強会や右翼イベントをしていた。それゆえにこの「狂気の桜」が自分たちの発展した姿のようにも感じる。大親分に八千矛社の犬塚哲爾氏と一水会顧問の鈴木邦夫氏がいて、若頭に木村三浩がバックにいた。

物語は喧嘩を生業にした青春アウトロー的なシーンの連発。ある日ネオ・トージョーのリーダー格・山口が街にはドラッグは必要ないというスローガンで仲間を引き寄せる。やがて大東亜青修連盟のもとに呼び出される三人。その意図はこの若い青年らを器用に使っていこう大人の計算のみであった。

大東亜青修連盟の会長にして在日朝鮮人の青井は三人に車をプレゼントする。もちろん恩義を売るためだ。三人は山口を筆頭に今日も喧嘩三昧。そんなある日渋谷で不良グループに追いかけられていたところで景子に出会う。というより彼女の所属してい高校のたラクロス競技の棒が喧嘩の役に立った。クロスを持って帰ろうとした山口を追い黒くを返してほしいといった圭子はお礼として車で家まで送ってもらう。

やがて三人の間に亀裂が走った。小菅は大東亜青修連盟の若頭・兵頭のもとに草鞋を脱ぐ。組織の人間として五年後には一花咲かせようとしていた。小菅は山口に対し劣等感があり、彼とのタイマンでも負けてしまった。そして小菅はネオ・トージョーを去り大東亜青修連盟の一員として白い特攻服を脱いだ。

山口は麻薬の燻煙する渋谷を嫌った。特に外国人の仕切るクラブ・グリンゴを目の敵として襲撃をかけた。日本人がよそ者によって疲弊していく様を見ていられなかったのだ。しかしこの一件が後に大きな波紋を呼ぶ。グリンコは大東亜青修連盟の敵・小西組の息がかかった店だったのだ。このあたりで結局は他のやくざ映画としての縄張りと薬の模様が浮き彫りになってしまい、映画のパターナリズムに持っていかれてしまっている。

市川は消し屋といわれる殺し屋のもとでつかいっぱをしていた。三郎のホテルで暮らし、常に三郎から監視されていた。三人はすでにバラバラになり、山口も大東亜青修連盟会長の青井の付け人となる。

市川はドラック漬けとなり手形や指紋を三郎から採取され、その市川の指紋のついたゴム手袋を嵌めて敵対組織を銃でハチの巣にする。ケツを拭くのは市川だった。そして市川は逮捕され、渋谷の街中で署に連行される。その姿を見た山口は「そいつはやってねーっ」と大声で騒ぐが聞き入れられない。愛憎と友情が入り混じった世界でシノギをするのは彼らには向いてなかったのかもしれない。ただの不良グループにイデオロギーが注入された昔の安藤組の黎明期を思わせるようなフィルムになっている。

鬱を患った大東亜青修連盟会長の青井は、息子のように慕っていた山口にさか暇を告げられる。そして縁のあった証拠に日本刀・長曾祢虎徹の贋作を手渡す。

若頭の兵頭は腹黒かった。三郎に頼んで青井は切腹の体をなし自殺を模倣しながら殺された。山口は敵打ちに行き。兵頭のピストルを握りしめた手首を斬った。するとその兵頭の背後からブスリと長脇差が貫かれた。三郎だった。かれは青井から兵頭を殺せと依頼され、本物の長曾祢虎徹を譲り受けていたのだった。畳の上に転がった兵頭の手首が生々しい。ラスト、山口がうぉぉぉぉと叫んでパーンされるシーンは「ドラゴン怒りの鉄拳」のラストシーンのようだった。

筆者も以前新右翼活動をしていた折、前出の犬塚氏から空港で紙袋を手渡され、それを八丈島の八丈神社まで運んだことがある。神社について中を開けたら、小指の第一関節と第二関節の二体入ったホルマリン漬けが収められていた、なんてこともあった。誰の小指かはとりあえず伏せておく。

映画「GO」38度線とパンジョッパリ。

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喧嘩に明け暮れる毎日を送っていた在日韓国人の杉浦。通名で過ごすことには何のためらいもなかった。しかし父親がハワイ旅行するため朝鮮籍から韓国籍に切り替えたことから民族の血が騒ぎだす。

けんか相手の加藤は指定暴力団の組長のせがれ。ただ、こいつと喧嘩してからというもの二人のあいだには友情が目覚める。この加藤の催したパーティーで桜井という女子高生と知り合い懇意になる杉浦。ふたりは彼女の通っていた小学校の朝礼台の足元で恋人となる。杉浦は自分が在日朝鮮人だということをひたすら隠し加藤との逢瀬を重ねる。

杉浦の父親は日本ランキング7位の元プロボクサー。現在はパチンコの景品交換所で働いていた。この父親のパンチの破壊力はまるで現役ボクサーのそれのように鋭さがある。喧嘩をして杉浦が警察に捕まると、担当の目の前で極めつけのストレートを見せつけ、息子をボコボコにした。そして「これで家裁行きは免れたろ」とうそぶいてみせる。

杉浦と桜井の二人は毎週土曜日、桜井の家でデートした。そんなある日、ジョンイルという杉浦の大親友が、韓国人差別をする高校生により咽喉元をナイフでえぐられ即死。葬式の席でジョンイルの仇討ちをしようと詰め寄る元同級生に対し杉浦は、「ジョンイルはそんなこと望んじゃいねえんだ」と突き返す。ジョンイルは大学を出て、日韓平和のために民族学校の教師になることを夢見ていたのだった。

そんなジョンイルの死を無駄にせまいと杉浦は在日の誇りを胸に刻む。そして桜井との初夜に自分が在日韓国人だということを桜井に告げる。が、彼女は父親の教育のため「韓国人や中国人の血は穢れている」と口走る。そして自分がまだ処女だったことも。いったん二人の縁はここで途絶える。

筆者も以前、在日の女性と付き合っていたが、彼女は日本人とは結婚できないと言い張っていた。私が「パンジョッパリ」といえば「ヤマトンチュウ」と言葉が返ってきたこともあった。その彼女はシングルマザーで、三人の子を成長させていた。19歳も年上の女性だった。

日帝36年の歴史は杉浦と桜井の間に大きな溝を穿っていた。シェイクスピアロミオとジュリエットでいうところの「バラは名前を失っても甘い香りに変わりはない」ということを体現するかのように、桜井の感情は杉浦に向かっていた。そしてクリスマスイブの晩、鍵裏の家に電話が鳴った。桜井だった。「小学校で待っている」と伝言を告げ彼女は電話を切る。

真冬。コートをまとった桜井は杉浦の来るのを待っていた。訪れた杉浦は「おれは何物でもねえ。おれはおれなんだと大声で言葉を発した。桜井はそれ等すべてを受け入れて交際は再スタートする、という物語。

まだ韓流ブーム前夜の日本でこの映画が受け入れられたのは、まさにパンジョッパリである杉浦の日本に対する情熱、落語や漫才という文化の吸収力、などがあげられる。たかだか二十年前までは反韓ムードは誰しもが抱いていた。が、それも時代の流れ。現在では韓国人にあこがれる女子層が増加している。日本男児より、韓国男子という風潮に素直に思考が転換できないのは、筆者も年を取ったからだろう。

映画「豚が井戸に落ちた日 」切符切りの恋。

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もう二十年くらい前に観た映画で記憶も風化している。DVD化すらされていないので、あらすじもほぼ残っていない。ただ印象はドギツく筆者の心象風景の中で漂っている。

三流小説家のヒョソプは映画館でモギリをしている二十代のミンジェに慕われていた。そして同時進行形で人妻・ポギョンとは大人の関係にあった。印象的なのは映画のチラシになっていたミョンジェの映画館でのダウナーな姿だ。彼女は確か生活費を工面するために、アダルト映画のよがり声の声優のアルバイトか面接にも行っていた。

一言に切符切り=モギリ、といってもさまざまなドラマを垣間見るものだ。筆者は15歳の時、つまり中学生の時に銀座か有楽町の名画座に足を運び、「地上より永遠に」とマーロン・ブランドの映画の二本立てを観た。その際、モギリをしていた高倉美貴に瓜二つの女性に一目ぼれした。マセガキだった筆者は彼女を口説くのに必死で映画など忘れて木戸口に佇んだ。しかし気を張れば張るほど彼女は冷笑をむけ、やるせない思いとなった。その高倉美貴似のお姉さんは何度も同じような声をいろんな男どもから浴びせられたのだろう。

そんな切符切り、つまりミンジェが恋するくらいの魅力がヒョソプにもあったに違いない。彼女は毎日いろんな男性から切符を受け取り可視化できない情を交わしていたのだろう。一方、ヒョソプは嫉妬深いサラリーマン・ドンウの妻ポギョンにぞっこんだった。淡々と語られる映像の中には何一つ感情はなく、ただただ回転する日常だけが漂っていたに過ぎなかった。

葬式のシーンがあり、その中でドンウの被っていた紙袋が気になった。昔のスーパーのレジなどでもらえる神袋。儀式が厳かなだけに、何か笑ってしまった。それから数日たってドンウは郊外にある知り合い夫婦の棲むマンションに出かけたが、あまりいい顔もされずに、おまけにちょっとした欲望でセックスをしたくなった知り合いから「今日は帰ってくれ」的なことを言われ帰らされる羽目になる。ドンウは妻の不貞を暴こうとするも小心で何にも手がつかない。こういう男をフランス語でコキュという。高見順の作品に「故旧忘れうべき」というのもあったっけ。

たしかミンジェは小屋のような部屋に住んでいて、そこに映画館の従業員が訪ねてくる。男はみミョンジェに惚れていて、たしか恋敵のヒョソプを殺めてしまう。そんな絵展開だったような気がする。

ヒョソプ、ミンジェ、ポギョン、ドンウの四人の秋枯れした紅葉色のホン・サンスのデビュー作品。

映画「シャイニング」237号室に近づくな。

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コロラド州。ロッキー山脈の山の上に立つホテルで、小説家ジャックは住み込みで管理人として働くことになった。面接時、支配人から1970年におこった奇妙な事件の顛末を耳にした。このホテルで管理人をしていた男が斧で妻とふたりの娘を殺める殺人事件を犯し、自らは猟銃自殺をしたという話だ。男はまじめで仕事熱心だった、と聞く。話は話として脳裏に沈め、ジャックはこのホテルで冬の間は新作の小説を書く決意を表明する。妻のウェンディと息子のダニーはこのホテルでの冬ごもりをあまり期待していなかった。

ホテルが冬季閉鎖された。ジャックは妻ウェンディと息子ダニーを共連れ自動車でロッキー山脈にさしかかった。そしてホテルにたどり着く親子三人。

ウェンディとダニーはハロランという黒人の料理長から広いキッチンに案内される。そして案内するハロランはダニーのことを先生と呼称する。なぜかというと、ダニーには口をきかなくても相手の言うことが自然とキャッチできるから特殊超能力者「シャイニング」だ、とハロランは説明する。そしてハロラン自身もシャイニングであると。さらには、237号室には近づいてはいけない、と言葉を残して一か月が経過する。

普段のように児童用のカートに乗ってホテルの中を走り回るダニー。火曜日。 ダニーは237号室の前でカートの足を止める。遊具から降り、237号室のドアノブを回そうとしたが鍵がかかっており開かない。一方ジャックは仕事がうまく進まない。気づかいする妻にも邪険な扱いだ。ここでタイプライターの音のする間は声をかけてくれるなと、かなり神経質的に詰め寄る。その狂気をも纏った夫の眼球に、妻・ウェンディはひるむよりほかなかった。

小説家というある種自閉的世界観の中で暮らすジャックは、この雪に覆われるホテルの中でますます心を閉ざしていった。冬季うつ病的な疾病か、あるいはパラノイア的な病巣が彼の中に宿りつつあった。この静かな山の中で、仕事の進捗の悪さから精神的に追い込まれていくジャック。目つきが徐々に変わっていく。

ダニーはいつものようにカートを運転していた。すると過去に惨殺されたと思しい双子の姉妹が「ダニー。一緒に遊びましょう」と話しかけてくる。幻視に目を閉ざすダニー。すると今度は血糊がべっとりと着いた双子が廊下に横たわっていた。ダニーは自分の中にいるもう一人の自分に問いかける。「トニー。僕は怖いんだ」。

ジャックとダニー親子は依然として幻視幻覚に誘われている。気が正気なのは妻・ウェンディ一人となる。しかしこのウェンディも夫の気狂いじみた言動に神経衰弱となり、バットでジャックの頭部を殴打し倉庫まで運び監禁する。一方でシャイニングでもあるハロランは、雪深いホテルに幽閉された親子三人が気になりロッキー山脈へと向かう。倉庫から逃れたジャックが斧を持って寝室にやってくる。ダニーも寝言のように「redam」→「marder」と唸っている。母親は息子を抱きしめその場から離れようとする。小窓からダニーを雪深い室外へ逃がすが、ウェンディは窓が小さすぎて屋外へ出られない。斧で扉を破壊し忍び寄るジャック。包丁を手に迫りくるかれを身もだえながら恐怖するウェンディ。有名なワンシーンだ。映画ではなくまるで本当に戦慄したような恐怖感。

ようやく雪上車でホテルにたどり着いたハロランだったが、すぐにジャックの斧で心臓をえぐられ即死。ジャックは息子ダニーへと迫っていく。ダニーは迷路の森に逃げ込むがやがて自分の足跡が父にバレるのではと機転を利かせ、雪で足跡を消して難を逃れる。

ウェンディが包丁を手に外へ出る。そこで息子を発見し雪上車に乗ってこの場を去る。ダニーは凍死。ホテルの壁に掲げられた1921年の舞踏会の写真の中には、なぜかジャックの姿が写っていた。ホテルに悪魔が憑りついたのか、ジャックに憑依していたのかわからぬうちにスクリーンは閉ざされていく。

 

 

映画「天国と地獄」行政による司法への介入。

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ナショナルシューズの重役たちが権藤邸に集まって、現在の社長を会社から追い出そうと画策していた。しかし権藤は他の重役たちと異なり、コストをかけてでも丈夫な靴をユーザーに提供しようと食い下がる。交渉は決裂し重役たちは権藤邸を去る。河西という権藤の秘書がお見送り。「権藤はなぜあんなに自信があるのか」という問いかけにも「さぁ、何故本人にお聞きにならなかったのですか?」と詰問を排除する。

実は、権藤は会社の実権を奪うため方々から自社株を買いあさっていた。今夜にも河西を大阪へやり話をつけてこようと公算していたのだ。やがて権藤邸に電話の呼び出し音が。受話器を持つ権藤に、電話の相手は「あんたの息子を誘拐した。3000万用意しろ」といって電話は切れる。しかし権藤の息子はリビングに姿をあらわす。

運転手・青木の息子が権藤の息子と間違えられて誘拐された。すぐに警察を手配して逆探知の用意を遂行。犯人から息子を間違えた、それでも権藤が3000万用意しなければ青木の子供は殺すと脅迫があった。5000万の小切手を持つ権藤に3000万の身代金を払う余裕はあった。が、身代金を払わなくては会社から逆に追い出される。そんな確執と戦う権藤だったが、否とは言えず、妻の後ろ盾もあって身代金を払う決心をする。

警察も本腰を入れて捜査に尽力する。犯人は特急こだまに乗れ、あとは乗ってから指示する、とだけ言って電話を切った。3000万を入れるカバンのサイズを指定された。そのカバンの中に刑事は特殊な化学成分を入れ、犯人がカバンを燃やしたり、捨てた際にはその場所が特定されるように仕掛けていた。

特急こだまに乗った権藤と刑事一行は熱海の手前で犯人からの電話を受け取る。「酒匂川の鉄橋からカバンを投げろ。子供はそれと引き換えだ」と言って電話を切った。犯人が指定したカバンのサイズはこだまの洗面室の窓の隙間から投げ出せる、という計算があった。権藤は車窓のすきまかカバンを投げ、共犯の受け子はカバンを手に入れた。子供は無事青木のもとに帰った。

さて、これから本格的なそうさ捜索ははじまる。木村功演じる若い刑事は脅迫電話に録音された音源の中に電車の特徴ある音をとらえ、専門家に聞いてもらった。それはパンタグラフではないポールと電線のこすれる音だと分かった。江の島近辺での操作が始まる。

青木の息子の供述などから犯人はインターンの学生竹内銀次郎が浮かび上がった。警察の包囲網は絞られた。竹内は薬剤を用いることに慣れていて、共犯をヘロインで殺していた。しかし警察はこの共犯者二人がまだ生きていて、次のコンタクトの際に竹内を逮捕しようと考え、もう一回犯行の再現をさせようと知恵を絞るのだが、これは行き過ぎ。それでも竹内は警察の罠に見事陥って、黄金町の麻薬街で純度の高い麻薬を注射して女を死亡させる。これで、共犯者を殺し行こうと別荘地へ足を運ぶ。

刑事たちは別荘の中と外で待ち構える。そしてあらわれた犯人を誰何して「竹内、これで貴様は死刑だ」と司法への介入ともとらえられる、警察の捜査から逸脱した暴挙に出る。
竹内は「丘の上で暮らす権藤一家が憎かった」と吐露。やがて死刑が確定され、教戒師の手も借りず、孤独に刑に処せられる。と、その前に一人だけ会いたい人物がいると担当に漏らし、権藤が接見に来る。「君はなぜ、私と君を憎し見合う両極端だと考えるんだ?」という権藤の問いにうすらざむぃニヒルな笑い声で対応する竹内。まもなく興奮した竹内は刑務官に連れられ、面会所から引きずり出される。

当時の黒沢作品は「正義感」がやたらと強かった。正義のための脱法も時として良しという考えだったのか。理路整然といかない映画手法に、悩まされる。